安藤の丸善読書録

丸善で買った本の感想を書きます。

「樹海考」村田らむ 偏った感想

お疲れ様です。相変わらず暑いですね。

もう脇汗パラダイスです。はやく秋に、それが無理ならせめてお盆になって欲しいですね。

さて、前回は綿矢りささんの「生のみ生のままで」のことを記事にしたのですが、連日職場に本を置いて帰ってしまい続きが読めていません。

退勤間際の速さと身軽さにかけてはオリンピック選手にも負けない私です。続きがきになるのでいつかは必ず書き終えます。

そしてほぼ同時に読み始めた村田らむさんによる「樹海考」(晶文社)を読了しましたので感想を書きます。

まずは基本情報ですが、

体裁:ノンフィクション

構成:樹海の観光地としてのライトな魅力と、自殺スポットとしてのディープな魅力(とあえて言いましょう)を絶妙なバランスで紹介。「樹海では方位磁針が狂う」「樹海には村がある」などの安い都市伝説をバサバサ斬りながら、樹海に実際に存在する宗教関連の建物や樹海に通うディープな人々などB級のその先に光を見せるような希望に満ちた展開をしています。

この本の私的おすすめポイントは以下の通りでした。

【自然豊かな樹海】

樹海と聞くと実際に足を運んだことのない私のような人は真っ先に「自殺」という連想をすると思います。少し前に海外のユーチューバーが実際に樹海で死体を撮って動画にしたことで物議を醸していましたが、海外に知れ渡るほど「自殺」イメージに取り憑かれた樹海。

しかし著者の村田らむさんは長年、仕事として樹海に足を運び樹海の多面的な魅力を知り尽くしています。中でも私がびっくりしたのが自然豊かな樹海という側面です。

風穴や洞窟があり、観光客向けの遊歩道があり、子どもの頃に受けた自然教室を思い出させるライトさ。苔むした木々の様子など読んでいて思わずトレッキングに出掛けたくなるような快活さがあります。マイナスイオンがすごそう。

樹海というタイトルに魑魅魍魎を求めてお買い上げしたよこしまな身としては頰を張られたような衝撃ですが、思いがけず日曜朝の旅番組を見たような爽快感を味わうことができ満足です。あと普通に観光に行きたいなぁと思いました。

【樹海の死体】

でもやっぱりこれです。樹海と言うからには自殺、自殺と言うからには死体です。なぜ人は樹海で死にたくなるのか?猫が死に際に山へ行くようにそれはどこか神秘的で変えがたい本能を感じさせます。この本の中では直接死のうとしている人を捕まえて「なんで樹海なんですか?」と聞くような無粋なことはありません。しかし度々登場する死体の様を見ていると、なんだか腑に落ちる感覚があるので不思議です。例えば生活用品を辺りに散乱させている死体、紐の結び方についての本を残した死体など、生きていたことと死んでしまったことの間に全く摩擦がないように思えます。まるで生きる延長で死んだかのような、それは樹海だからこそ許される緩やかさなのかな、と感じます。

例えば街中で倒れてそのまま死ぬとなると救急車に運ばれ、治療を施され、無理と分かれば家族が呼ばれ、悼まれながら安置され、葬儀場に運ばれ、葬式を伴って焼かれ、納骨され、というように結構大変です。しかし、樹海で死ぬとなるとそういったプロセスを全てすっ飛ばして1人静かに土に還るということ。そこに至るまでにきっと並ではない悲しみや苦しみを経験したからこその樹海でしょうが、街中で死ぬよりはるかに厳かな死を感じさせるし、そういうところが人々の心を捕らえてやまないのかなと感じさせます。

【美しさすら感じさせる死体】

この本には多くの死体が登場し、トチ狂った死体ファンも登場します。その死体ファンのKさんはしっかり腐った死体が好きだと語るのですが、虫嫌いな私にとっては腐乱は敵、そうなるとやはり白骨化死体に美しさを感じます。頭蓋骨の歯に治療痕がある歯があると書いてありましたが、それはそれでいいなと思いました。

ユーチューバーの事件の時は、死体を面白おかしく晒しあげるというところが思慮に欠けていたのかな、と思いますが、生きているにしろ、死んでいるにしろ、美しさを見出すことはタダかなと思います。

死体になった誰かからすればほっといてくれという気持ちかもしれませんが、生きていたことを一番背負っているのが肉体ですから死体を美しいと感じることが生きてる人間にとっての人生賛歌になるのではないかなと身勝手に思います。

というところで今日はおしまいにします。

次こそは「生のみ生のままで」を読み終えていることでしょう。ではまた近いうちに。